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発 行 | : | 2015年5月20日 |
税込定価 | : | 3,300円(本体3,000円) |
判 型 | : | 四六判上製 |
ページ数 | : | 272頁 |
ISBN | : | 978-4-7923-7105-0 |
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■内容紹介 |
第一章 西原刑法学とドイツ刑法学 一 ドイツとの関係 3 1 はじめて読んだ外国小説としてのヘルマン・ヘッセ 3 2 人生を決めた終戦直後のクラス再編成 5 3 旧制高校時のドイツ語授業 9 二 ドイツ刑法学との出会い 13 1 大学入学と恩師齊藤金作先生との出会い 13 2 メッツガーの『刑法教科書』 17 3 フライブルク研究所のシェーンケ所長からの二つの委託事業 21 4 ドイツ刑法改正資料等の翻訳 28 三 フライブルク大学外国国際刑法研究所への留学 30 1 留学の準備 30 2 留学の時期 33 3 当時のマックス・プランク研究所 35 4 当時のドイツ刑法学会 44 5 ドイツにおける「信頼の原則」 51 6 マックス・プランク研究所とのその後の関係 53 第二章 関心を持つテーマの変遷 一 戦後ドイツ刑法学への関心 63 1 メッツガーからヴェルツェルへ 63 2 目的的行為論と構成要件論 69 二 修士・博士論文のテーマとなった間接正犯 74 1 齊藤先生の博士論文「共犯理論の研究」の執筆お手伝いから生まれた関心 74 2 第一回刑法学会賞を頂いた刑法雑誌論文「間接正犯における実行行為」 75 3 厳格責任説の採用 80 4 研究テーマの選び方82 三 学会へ引き上げてくださった平野龍一博士 85 1 「ドイツにおける酩酊犯罪」の執筆︱「酩酊と刑事責任」︱ 85 2 学会報告「西ドイツにおける過失交通事犯」︱信頼の原則︱ 90 3 人生の機微 91 4 学会は自分で開拓すべきところ 94 四 「間接正犯」から「原因において自由な行為」へ 98 1 「ドイツにおける酩酊犯罪」が偶然のきっかけ 98 2 改正刑法準備草案と論文「責任能力の存在時期」 99 五 共謀共同正犯への関心 102 1 草野︱齊藤︱西原と流れる学統の重さ 102 2 苦心した「共同正犯における犯罪の実行」 104 3 最近の判例の問題点 106 六 過失犯論への関心 112 1 「信頼の原則」研究のその後の発展 112 2 多忙時の研究活動のコツ 117 3 過失構造論 122 4 「信頼の原則」が判例に与えた影響 124 七 教科書・体系書を著す時期 130 1 研究者としての教科書の位置づけ 130 2 『刑法総論』と『犯罪各論』 135 第三章 異常な時期における特殊な関心 一 大学紛争最盛期に書いた『交通事故と信頼の原則』 145 1 終戦による社会の大変化 145 2 大学紛争の時代 146 3 大学紛争と研究生活 149 4 大学行政との関わり 153 5 多忙期に論文を書く秘訣 156 二 『刑法の根底にあるもの』の執筆 158 1 著すきっかけ 158 2 全共闘時代に痛感した刑法の根本を説く必要性 162 3 マルクス主義との対峙 165 三 『犯罪各論』の出版 172 1 刑罰権発動の体系的説明の必要性 172 2 団藤先生のアイディア 174 3 『犯罪各論』の執筆 176 四 犯罪各論的研究の必要性 179 五 刑法改正事業 182 1 昭和三一年に始まった戦後の刑法改正事業 182 2 改正刑法草案の発表時期 185 3 刑法研究会 188 4 保安処分をめぐって 191 5 保安処分反対運動の後遺症 194 6 刑法改正事業の総括 198 六 矯正・保護関係との関わり 201 第四章 日中刑事法学術交流への傾斜 一 日本が敗戦に向けて転落する歴史とともに歩んだ生育歴 209 二 終戦時の衝撃と一七歳少年の想い 212 三 北京大学との学術交流協定締結のための初訪中 216 1 北京大学からの提案 216 2 早稲田大学と中国との関係 217 3 北京大学での挨拶とその効果 225 四 上海市対外友好協会李寿葆会長と日中刑事法学術交流開始決定 228 1 上海市対外友好協会からの講演招待 228 2 中国における刑事法 230 3 刑事法学術交流の提案と実施 231 五 日中刑事法学術討論会のその後 233 1 最初の日中刑事法学術討論会後の継続の提案 233 2 中国側の変化 235 3 開催方式の変革 237 4 中国での傘寿祝賀刑事法学術討論会 241 六 安田基金による知日派刑事法学者の養成 243 七 これまでの総括と新しい企画 248 1 シンポジウム「日中刑事法の過去と未来」 248 2 「東アジア国際法秩序研究協議会」の発足 250 八 西原先生の印象 253
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