ナチス法学とドイツ法アカデミー
山中敬一 著
定価:30,800円(税込)-
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発行:
2026年01月20日
-
判型:
A5判上製 -
ページ数:
1154 -
ISBN:
978-4-7923-0748-6
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《目 次》
はじめに(i)
序章 ナチス法・政治的背景・歴史的視座
第1節 ナチス法学とは? 1
1 ナチス法学と具体的秩序思想 2
2 カール・シュミットの決断主義と「法学の政治学化」5
(1)決断主義とは?(6)
(2)『法律と判決』(7)
3 カール・ラーレンツの「類型論 」9
(1)「類型論」とは何か(10)
(2) ラーレンツの戦後の類型論(11)
(3)ラーレンツ方法論のナチズムとの関係(12)
(4)ラーレンツとヘーゲルの弁証法の異同(12)
(5)ラーレンツの方法論の変遷(14)
(6)ラーレンツ類型論の評価(16)
第2節 ナチス法思想の推進団体とその創設者 20
第3節 政敵弾圧と政権の内部抗争 23
第4節 ナチス研究史における初期の三つの視座 27
第5節 考察の対象としての法律家・そのイデオロギーの特質 29
(1)法学者のもつ集団的イデオロギー(29)
(2)法学のイデオロギー無抵抗性(31)
(3)体制依存・体制変換・イデオロギー変換(31)
(4)集団イデオロギーの中の個人の同調と責任(33)
第6節 ナチス研究の政治性の問題 36
1 (西)ドイツ戦後史における「歴史像」問題 36
(1)反ファシズムから反全体主義の時代へ(36)
(2)歴史像の分裂の時代(38)
(3)歴史化の時代(38)
2 東西ドイツの(再)統合 41
3 第2次歴史家論争 42
第7節 戦後および現代ドイツにおける「過去の清算」 45
1 ナチス研究における歴史化と法理論の転生 45
2 非ナチ化とナチ犯罪の事後処理 48
(1)非ナチ化手続(48)
(2)ナチ犯罪処罰の展開(51)
(3)ナチ犯罪処罰の統計(54)
(4)東西統一前後のナチ犯罪追及(56)
(5)時効規定の改正(56)
(6)21世紀における訴追の継続(65)
第8節 現代日本と国際社会に残された課題 71
1 現代日本の民主主義・法治国家の危機 71
2 国際社会における法治国家と人権の危機 72
第1章 ナチス法学の理念とその展開
第1節 ナチスの法理観の概観 77
1 合法革命と法の連続性・非連続性 77
2 ナチス法学の誕生基盤 81
(1)法実証主義がナチスの不法に対して無防備にしたというテーゼ(81)
(2)ラートブルフの正義に反する法律の法的性格否定論(82)
(3)ケルゼンの純粋法学(84)
(4)自然法の復活か、自然法と実証主義の彼岸か(86)
(5)権威主義的法実証主義の残滓(87)
(6)ナチス流自然法(90)
3 法の革新における「評価転換手段」の諸類型 97
(1)新しい「法理念」(98)
(2)新しい「法源論」(102)
(3)新しい「解釈論」(103)
(4)新しい「法理論・概念論・方法論」(107)
(5)法と法律家の存在根拠の否定?(108)
第2節 ヒトラーの法理観 110
1 指導者原理とヒトラーの法理観 110
2 政権掌握前のヒトラーの法理観 110
(1)若きハンス・フランクに語ったヒトラーの法理観(110)
(2)『我が闘争』における法理観・国家観(111)
3 ヒトラーの法理観の変遷 112
(1)権力掌握の道具から権力行使の障害へ(112)
(2)ヒトラーとの談話における法理観(113)
4 ナチズムの精神を実現すべき司法 115
5 ヒトラーを苛立たせる法律と法曹 116
第3節 ナチスの法理観の個別内容 117
1 ナチズム的世界観の意味 117
(1)ナチズム的世界観の特徴(117)
(2)法解釈の基準(一般条項)(118)
(3)ナチス法学のナチス・ハンドブック(119)
2 ナチズム的世界観の「反~」思想とその積極的内容 121
3 積極的ナチズム思想の内容 122
(1)指導者(総統)原理(122)
(2)民族主義思想(123)
(3)人種思想(124)
(4)国民社会主義(127)
4 民族主義(人種)思想の「闘争の道具化」から「理論化」へ 129
(1)民族主義の追求目標(129)
(2)民族主義的「法思想」の展開(131)
(3)フーバーとフォルストホフの民族共同体思想(132)
5 国民社会主義 134
(1)国民社会主義の柔軟性・多様性(134)
(2)マルクス主義・ファシズムとの関係(135)
第2章 法律家ハンス・フランクと法曹の強制同質化
第1節 ハンス・フランクの経歴と野望 139
1 ハンス・フランクとは? 139
2 若き日のハンス・フランク 141
(1)生立ち(141)
(2)フランクの「日記」と野望(142)
(3)フランクの社会主義思想(143)
(4)フランクのナチ党入党とヒトラーとの出会い(144)
(5)ヒトラー一揆への参加(146)
3 法律家フランクの誕生 146
(1)フランクの学生時代(146)
(2)フランクのナチの弁護士としての出発(147)
(3)フランクの「名誉欲」(148)
4 フランクの法理観の特徴 149
(1)法の役割に関するナチス幹部の三つの立場(149)
(2)各グループの特徴(151)
(3)ナチス法幹部内に渦巻く野望と羨望(153)
(4)フランクのいう法思想の三つの機能(153)
第2節 ハンス・フランクとナチスの権力掌握過程 156
1 ナチス・ドイツ法曹連合の結成 156
(1)「連合」結成の目的(156)
(2)「連合」の組織の拡大(157)
(3)フランクの帝国議会選出 と法務委員長としての活動(157)
2 国防軍訴訟とハンス・フランクの弁護 158
(1)事件の概要と背景(158)
(2)公判(160)
3 国防軍裁判におけるヒトラーの証言 160
(1)証人としてのヒトラーの召喚(160)
(2)ヒトラーの証言を巡る駆け引き(161)
(3)ヒトラー召喚の目的の説明(162)
(4)ヒトラーの証言内容と「ヒトラー劇場」(162)
(5)その後の証人の召喚(164)
(6)ヒトラーの「合法性の証言」と宣誓の清め効果(165)
4 訴訟の結末と反響 166
(1)判決(軽い宣告刑)(166)
(2)判決の反響(ヒトラーとフランクの勝利)(166)
5 フランクのヒトラーへの信頼と失望 168
(1)法とヒトラーに対するフランクの思惑と幻想(168)
(2)ナチの弁護士としてのフランク(ポテンパの殺人事件の弁護等)(169)
第3節 権力掌握と国家司法高等弁務官 171
1 ナチス法曹としての地位の向上 171
(1)ナチス・ドイツ法曹連合(171)
(2)法務局全国指導部(172)
2 政権掌握後のフランクの活動 173
(1)国家司法高等弁務官への任命へのフランクの所感(173)
(2)ナチス法曹連合のナチ党全国指導部法務局への編入(NS護法法曹連合)(175)
(3)フランクとギュルトナーの主導権争い(175)
(4)刑法改正準備委員会をめぐる争い(182)
3 ナチス・ドイツ労働者党による立法権の掌握 184
第4節 法曹団体の強制同質化 187
1 ナチの司法支配の発展段階 187
(1)法における崩壊への対処をめぐる三つの観点(188)
(2)ナチス法政策に関与した人的集団の分類(189)
(3)時代区分(190)
2 司法の強制同質化 192
(1)三次元における強制同質化(193)
(2)外部的強制同質化(193)
(3)内面的強制同質化(ナチ・イデオロギーの内面化教育)(195)
3 各種法曹団体のナチ化 200
(1)ドイツ裁判官連合の強制同質化(200)
(2)ナチス・ドイツ法曹連合への編入(217)
(3)ドイツ裁判官連合の最終的解体(218)
(4)ドイツ弁護士協会(DAV)の強制同質化(220)
4 ドイツ法フロントの創設と弁護士の強制同質化 226
(1)「ドイツ法フロント」の創設の経緯(226)
(2)「非アーリア人」弁護士の弁護士職からの排除(228)
5 裁判官のドイツ法フロント加入 229
6 パラリーガルのドイツ法フロント加入 230
7 公務員、銀行家、私企業の強制同質化 231
(1)公務員の強制同質化(231)
(2)1935年9月15日「ライヒ市民法」(付・実施命令)(232)
(3)ドイツ銀行および銀行家業務協会の中央団体の強制同質化(233)
(4)ナチス経済政策と私企業の「アーリア化」(234)
第5節 レーム粛清(ナチスの組織内部の強制同質化 )239
1 レーム事件の経緯 240
2 事件の背景 241
3 バイエルン司法省による事件への対処 242
4 事件の報道と法的対処 243
5 カール・シュミットによる正当化 245
第6節 ドイツ法アカデミーの構想 249
1 1933年6月26日の会合 249
(1)アカデミー創設の個人的意図(249)
(2)フランクの設立構想実現の経過(249)
(3)設立のための会合のメンバー(251)
(4)設立目的の具体化(252)
2 1933年8月22日のバイエルンの法律 254
第7節 大学法学部の強制同質化 256
1 大学教員専門家グループ 258
(1)粛清の法的根拠と実際の状況(258)
(2)大学教員のナチス・ドイツ法曹連盟への強制加入命令(259)
(3)法学部・新学業規則(260)
2 大学制度のナチ化 261
(1)制度的強制同質化の経緯(261)
(2)教授資格(262)
(3)学生の資格制限(263)
3 大学における法学教育の理念 263
4 キール大学法学部のナチ化(突撃部隊学部) 265
(1)キール大学の創立と発展(265)
(2)学生団体と大学(267)
(3)キール大学法学部の強制同質化の背景(269)
(4)学生団体の活動と人事介入(政治的突撃部隊学部)(269)
(5)法学部の人事刷新(エックハルトの文科省入り)(270)
(6)学生教育とキッツェベルガー合宿所(272)
(7)キール学派の形成(272)
(8)キール大学法学部の凋落(275)
第8節 法曹団体再編の披露会 277
1 1933年10月1・2日の法曹会議 277
2 旧「ドイツ法曹会議」の崩壊 278
3 ライプツィッヒ法曹会議の様子 282
(1)参加者達の到着(283)
(2)開会(284)
(3)フランクの祝辞と講演(286)
(4)大会のその後の経過(288)
(5)内外メディアの反響(289)
(6)ランダウのライプツィッヒ法曹会議の評価(290)
(7)専門家会議(292)
4 ドイツ法アカデミーの祝典・開会式 297
(1)ドイツ法アカデミーの創設式の開始(297)
(2)10月3日の講演内容(298)
第3章 ドイツ法アカデミーの創設期
第1節 ドイツ法アカデミーの創設 305
1 ライヒにおける「アカデミー」創設の意義 305
2 アカデミー創設の個人的意味と客観的意味 306
(1)フランクの意思と動機(306)
(2)フランクの個人的動機を超える存在意義(307)
(3)法曹の内面的強制同質化機能(308)
3 アカデミーの目的・組織・準拠法 309
4 ドイツ法アカデミーの組織と法的根拠 310
(1)アカデミーの組織(310)
(2)1933年9月22日のバイエルン法律(312)
第2節 ドイツ法アカデミーの開会宣言 313
1 開会の挨拶 313
2 キッシュによる任務・組織・機能の概略の説明313
3 フランクによる創立宣言 315
(1)「ドイツ法への展開」講演(315)
(2)フランクの「法史観」(316)
4 会員の任命 318
第3節 第1回全体会議 321
1 フランクの挨拶 321
2 ゲッベルスの演説 321
3 ブルンスの講演 322
4 ヒトラーへの決議文の送付 323
5 作業会議 323
6 ヘーデマンの民法改正の基本方針に関する報告 324
7 カール・シュミットの公法の新形成に関する報告 326
第4節 アカデミーの組織化と懸賞論文の募集 328
1 委員会委員長会議 328
(1)アカデミーの幹部会(328)
(2)委員会の部門責任者(329)
(3)ギュルトナーやケアルの挨拶(329)
2 ライヒ委員会の委員長 330
3 懸賞論文の募集 332
第5節 第2回・第3回全体会議および記者会見 336
1 第2回全体会議 336
2 第3回全体会議 338
(1)全体会議の講演(338)
(2)ツィビチョフスキーの講演(338)
(3)午後の作業会議(ギュルトナーの講演)(340)
(4)キッシュの委員会の状況報告(342)
3 ドイツ法アカデミーの記者会見 342
(1)記者会見の趣旨・目的(342)
(2)フランクの挨拶(343)
(3)ドイツ記者ライヒ同盟カンプマンの発言(344)
(4)第1回作業会議(345)
第6節 「ドイツ法アカデミー誌」の創刊と法律雑誌の運命 347
1 雑誌の性格・特徴 347
2 「ドイツ法曹新聞」の併合 348
3 1933年以降の法律雑誌のナチ化 349
(1)法律文献の監視と統制(353)
(2)アカデミー誌の財政的基礎(359)
(3)アカデミー誌第1号所収論文(360)
第7節 ドイツ法アカデミー第1回年次大会 364
1 先立つ個々の委員会の開催 364
2 第1回年次大会 365
第8節 初期の委員会活動 369
1 初期の委員会活動の状況と特色 369
2 アカデミーの事務所の所在 370
第9節 ライヒ法律上の組織としてのアカデミー 371
1 ライヒの公法上の社団としてのアカデミー 371
2 アカデミーに関する法律規定 372
3 ドイツ法アカデミー規約 372
4 フランクのアカデミーの会長就任 373
第10節 第5回全体会議 376
1 政治的意義と来賓 376
2 フランクの挨拶 376
3 ゲーリングの講演 377
4 その他の講演 380
第4章 ドイツ法アカデミーとライヒ司法省との確執
第1節 フランクとギュルトナーの確執 381
1 アカデミーと他の機関の関係 382
2 ライヒ司法省の公式刑法草案起草委員会の設置 383
(1)フランクの怒りの書簡(383)
(2)ギュルトナーの返答の書簡(384)
(3)フランクの返答(385)
(4)フランクの「敗北」と諍いの続行(386)
3 シュラウト事件 387
4 管轄争いの継続 387
第2節 ドイツ法アカデミーと司法省の不断の軋轢 389
1 雑誌「Der Angriff」事件 389
2 両者の確執の緩和とフランクのライヒ大臣への任命 390
第5章 展開期のアカデミー
第1節 第6回全体会議 393
1 全体会議出席者とフランクの挨拶 393
2 講演(国際犯罪) 394
3 作業部会 395
第2節 第2回年次大会(第7回全体会議) 398
1 大会の進行 398
2 ヒトラーへの電報と返電 400
3 祝賀記念大会、ヒトラーの登場と外国メディアの評価 401
第3節 第11回国際刑法・監獄会議および第8回全体会議 403
1 大会の意義 403
2 司会キッシュの挨拶 404
3 フランクの講演 405
4 ギュルトナー、フライスラー等の講演(断種立法について) 407
5 外国メディアによる会議の評価 410
第4節 ベルリンのアカデミー・ハウス 412
1 ベルリン・ハウスの取得 413
2 ベルリン・ハウスの開所式 415
第5節 第9回・第10回全体会議 416
1 第9回全体会議 416
2 第10回全体会議 417
3 営業上の権利保護のための国際会議 418
第6節 「法学におけるユダヤ人」会議 422
1 ニュルンベルク法とアカデミー 422
2 ハーニシュ事件 423
3 法学におけるユダヤ人会議の開催 425
(1)カール・シュミットとユダヤ人問題(426)
(2)「法学におけるユダヤ人」会議の趣旨(430)
第7節 第3回年次大会(第11回全体会議) 443
1 1936年5月「ドイツ法曹会議」の開催 443
2 アカデミーの第3回年次大会の開催 446
3 アカデミーの機構上の再編 447
(1)学術部門の運営に対する変革への動き(447)
(2)再編成の目的と計画(448)
(3)学術部門の変革準備(449)
4 アカデミーの機構上の再編と会員の分類の発表 450
(1)第3回年次大会(委員長会議)(450)
(2)キッシュのアカデミーの構造変革宣言(450)
(3)会員の配属計画(451)
5 委員会委員長の講演と展覧会の開催 451
6 大会二日目のテーマ「外国法」 453
(1)マルピカティ「ファシズムにおける党と国家」講演(453)
(2)総統の電報(454)
(3)マギアリー(マジャリー)の講演(454)
(4)10月23日の大会行事(454)
(5)ラインハルトの租税法に関する講演(456)
(6)フリックの「新行政法の諸問題」講演(457)
(7)サン・ニコロの「ローマ法史と古代法史」講演(457)
第8節 ドイツ法ハウスの定礎式 459
1 ドイツ法ハウス建設計画 459
2 ドイツ法ハウスの定礎式 459
(1)祝典の開始(461)
(2)講演・挨拶(462)
3 定礎式の式次第 463
第9節 第4回年次大会(第13回全体会議) 467
1 第4回年次大会の意義 467
2 大会の三つのテーマ 467
(1)各部門の会議(469)
(2)部門合同会議(470)
(3)キッシュの辞任・後任問題(471)
第10節 アカデミーの機構 473
1 会長命令および1937年4月1日の行政命令 473
2 事務機構 475
3 アカデミーの財政 477
第6章 公法委員会・警察法委員会
第1節 公法委員会の活動 483
1 公法委員会への政治的期待 483
2 公法委員会の特色 485
3 行政法委員会 485
4 市町村法委員会 486
第2節 警察法委員会の活動 492
1 警察法委員会の構成と課題 492
2 フランクとヒムラーの警察法改正の意図のずれ 493
(1)フランクの警察法改正の意図(493)
(2)ヒムラーの警察観(495)
3 ベストによる委員会の課題の認識 497
第7章 ドイツ法アカデミーと刑事立法作業
第1節 ライヒ司法省の刑法改正作業 499
1 刑法改正の方向の対立(自由主義刑法か権威主義刑法か) 499
2 刑法のアンビヴァレントな性格 503
第2節 刑法改正の必要性 504
1 従来の刑法改正草案 504
2 プロイセン司法省刑法覚書 505
第3節 刑法改正作業の担当部署 509
1 公式刑法委員会のメンバー 509
2 刑法草案の審議 510
3 競合する管轄をめぐる争い 510
4 改正指針としてのプロイセン司法省「覚書」 511
5 フライスラーの来歴と思想 514
6 プロイセン司法大臣の覚書の主要内容 516
7 ゲルラントの批判 519
8 メツガーの見解 522
9 新しいドイツ刑法に関するナチ的指導命題 525
10 ナチの刑法改正公式委員会および管轄争い 527
11 委員会の審議 528
12 閣議における審議経過 531
13 公式刑法委員会の刑法草案の内容 532
(1)1936年12月の「ドイツ刑法草案」(532)
(2)閣議におけるギュルトナーとフランクの争いの継続(536)
14 公式草案の運命 537
(1)草案の運命とフライスラーの構想(543)
(2)刑法草案の結末に関する評価(544)
第4節 ドイツ法アカデミーの刑法改正作業 546
1 ドイツ法アカデミー刑法委員会 546
(1)刑法委員会設立の目的(546)
(2)委員長と委員会の構成(546)
(3)刑法の目的(政治的安定化と民族共同体の保護)(547)
(4)刑法委員会内部での意見対立(548)
2 刑法改正の基本理念 549
3 フライスラー「審議の結論」論文の内容 549
(1)刑法改正の指針(549)
(2)法益保護の新構成から引き出されるべき帰結(551)
(3)ナチス刑法における諸原則(551)
4 改正刑法立法によるフランクの反転攻勢 551
(1)アカデミーによる改正刑法起草の秘めたる意思(551)
(2)アカデミーの側からのライヒ司法省への干渉(552)
5 フランクの1938年時点でのナチス刑法典立法に関する見解 554
第5節 刑事規制の部分改正の展開過程 556
1 刑事立法と警察命令の二重構造 556
2 ナチス刑事立法の時期的段階区分と立法形式 556
(1)時期的段階区分(556)
(2)立法形式(557)
3 初期段階個別刑事立法 559
(1)初期段階刑事立法の概観(559)
(2)初期段階の個々の刑事立法(559)
(3)1933年7月14日の「遺伝病を患う子孫の予防のための法律」(563)
(4)1933年11月24日「常習犯人法」(569)
(5)犯罪統計上の保安・改善処分(577)
(6)その他の保安改善処分(第42条a以下)(580)
(7)保安改善処分の初期統計(583)
(8)危険な常習犯人に関する法律の意義(586)
(9)1937年12月14日の警察による計画的監視の導入(586)
(10)1934年4月24日の刑法・刑事訴訟法規定の変更のための法律(実体法)(589)
(11)1934年4月24日の刑法・刑事訴訟法規定の変更のための法律(手続法)(591)
(12)1934年7月3日の国家正当防衛の諸措置に関する法律(598)
(13)1934年12月20日の、「国家と党に対する狡猾〔背信的〕な攻撃に対する、および党の制服の保護に関する法律」(599)
(14)1935年6月28日の「刑法典の変更のための法律」、および、1935年6月28日の「刑事訴訟および裁判所構成法の規定の変更のための法律」(600)
(15)1935年9月15日「ドイツ人の血統とドイツ人の名誉の保護のための法律」(血統保護法)(602)
(16)1935年10月18日「ドイツ民族の遺伝健全のための法律」(604)
4 戦時段階の刑事立法 605
(1)1939年9月5日の民族有害分子に対する命令(605)
(2)1941年9月4日の帝国刑法改正法(606)
5 戦時刑事立法としての「ポーランド刑法規程 」609
(1)概観(609)
(2)1939年10月8日の布告(610)
(3)1940年6月6日の命令(612)
(4)1941年12月4日のポーランド刑法規程(613)
(5)ドイツ人の刑法と異民族の刑法(615)
第6節 刑事訴訟法の改正作業 617
1 刑事訴訟法の沿革とその改正の課題 617
2 司法行政のライヒへの移行 619
3 司法のナチ化の概略 620
4 司法管轄の剥奪と刑事訴訟の空洞化 622
5 アカデミーの刑事訴訟法の改正作業 626
(1)委員会の構成(626)
(2)アカデミーのナチス刑訴の基本的特徴(627)
(3)改正の主要テーマ(630)
6 ライヒ司法省の刑事訴訟法改正作業 633
(1)刑事訴訟法委員会の特徴(633)
(2)小刑事訴訟法委員会(634)
(3)ナチス・ドイツ護法法曹連合の批判と提案(637)
(4)大刑事訴訟委員会(638)
(5)アカデミーの刑事訴訟委員会のその後の活動(640)
(6)警察の権限拡大の要請による刑事訴訟法改正の変更(641)
第7節 検察と警察の関係の変遷 642
1 検察の変遷 642
(1)ナチスの政権獲得以前の検察の変遷(642)
(2)ナチス時代の検察の変化(644)
2 警察の地位の変化 647
(1)ラント警察からライヒ警察へ(647)
(2)ナチス支配下の司法と警察の関係の段階的展開(648)
(3)司法と警察の関係における順応と相剋(650)
(4)刑事警察と政治警察(秘密国家警察)(650)
(5)警察の中央集権化と司法からの独立(651)
3 刑事司法の倒錯の極致 652
(1)政治犯罪の普遍化と警察権力の強大化(652)
(2)検察権の縮小と排除(655)
(3)受刑者・被収容者の経済的利用(657)
第8章 民法改正の中心思想と民法委員会の活動
第1節 民法改正の社会的背景と課題 659
1 社会の変化とナチの法理観への対応 659
2 ナチス民法の課題と改正の経緯の概要 660
(1)社会の変化における民法の課題(660)
(2)ワイマールの民法学方法論(662)
(3)ナチス時代の民法理論の革新の課題(666)
第2節 民法委員会の初期の構想 669
1 ヘーデマンの民法改正構想表明 669
2 民法改正における「ドイツ性」と「民族固有性」 670
(1)ドイツ性(670)
(2)民族固有性(671)
(3)民法の教育機能(671)
第3節 アカデミーにおけるナチス民法の中心思想 673
1 新たな法思考の中心としての義務思想と共同体思想 673
2 ラーレンツの権利能力 論674
3 ヴィアッカーの所有権論 678
4 民法委員会の活動 680
(1)初期委員会の活動状況(680)
(2)公法と民法の区別の問題(680)
(3)初期委員会の問題別活動(682)
(4)中期以降の民法委員会(691)
5 動産法委員会および土地法委員会の設置 695
6 家族法委員会 696
(1)家族法(婚姻法)の順次的改正(696)
(2)家族法委員会の課題と進め方(697)
(3)委員会のテーマとその順位(698)
(4)夫婦財産特別委員会(701)
第9章 法哲学委員会の設置から法学研究部門の設置へ
第1節 法哲学委員会の創設 705
1 委員会の構成 705
2 フランクの意図と構想 706
第2節 法学研究部門の設置と組織改革の目的 710
1 法学研究部門の設置と委員会組織の改革の目的 710
2 法研究部門の創設の動機と法学教育改革 710
(1)法学部門創設動機(710)
(2)法学教育委員会の設置(711)
(3)ローテンベルガーの法学教育の改革構想(713)
第3節 法研究部門の組織と概要 719
1 組織とクラス構成 719
2 各クラスの特徴と概要 720
3 第1クラスの活動 721
4 第2クラス(公法) 722
(1)刑法グループ(723)
(2)憲法・公法グループ(724)
(3)国際法研究グループ(725)
5 第3クラス(民法・経済法) 726
(1)民法グループ(ランゲの主導)(728)
(2)経済法グループの活動(四カ年計画)(731)
第10章 経済法委員会の活動
第1節 経済法委員会の構成と株式会社法の改正 733
1 経済法委員会の構成 733
2 ワイマール時代の株式会社法改正の動き 734
3 ナチ時代の株式法改正の初期の経緯 735
第2節 株式会社法委員会の報告とその批判 739
1 キスカルトによる第1報告 739
(1)総 説(739)
(2)匿名性(739)
(3)指導者原理(743)
(4)株式会社と国家(744)
2 キスカルト報告に対する批判 745
(1)バッハマンおよびハイザーによる批判(745)
(2)フィッシャーの批判(746)
3 ラッシュの委員会報告擁護論 748
第3節 第2期の委員会の作業 750
1 第2期の作業 750
(1)委員会委員の特徴(751)
(2)第2報告書(752)
(3)コンツェルンの問題(754)
2 その後の議論 755
第4節 株式法の成立と背景事情 758
1 ライヒ司法省による新株式法草案から立法へ 758
2 株式法立法の対抗力学 759
第11章 アカデミーの対外的発展と活動
第1節 外国との交流 761
1 アカデミーの対外政策 761
2 人的交流・情報交換的交流 762
3 交流の相手国とその内容 764
第2節 第12回全体会議とポーランドとの交流 766
1 アカデミーとポーランドの関係の展開 766
(1)1934年来のポーランドとの交流(766)
(2)ポーランドの近代史(767)
(3)1934年ポーランド憲法草案(767)
(4)その後のポーランドとの交流(769)
2 第12回全体会議 770
(1)全体会議の趣旨(770)
(2)グラボフスキーの講演(770)
(3)午後の作業会議(771)
3 「ドイツ・ポーランド〔独ポ〕法関係研究会」の設立 772
(1)設立会議(772) (2)フランクらのワルシャワ訪問(773)
4 ワルシャワにおける独ポ法関係作業会 774
第3節 アカデミーの対外国関係の展開 779
1 イタリアとの交流 779
(1)イタリア・ドイツ関係(779)
(2)相互訪問(781)
(3)ファシスト文化研究所におけるフランクの講演(783)
(4)第3回年次大会におけるイタリア側の講演(786)
(5)ドイツ・イタリア法関係共同研究会の形成(787)
(6)日独・独伊文化協定(791)
(7)第2回会議のテーマ「人種と法」(792)
(8)裁判官の地位(795)
(9)民法・特許法(797)
(10)研究会のその後の運命(798)
(11)評?価(800)
2 ブルガリアとの交流 801
3 アカデミーと日本の関係 803
(1)独日関係の展開過程(803)
(2)日独文化協定締結以降の展開(806)
(3)岡田甲子之助の論文(808)
(4)カール・クレーの論文(810)
(5)ケルロイターの論文(813)
(6)〔補論〕戦後のドイツの法学界と日本の交流の再開・展開(815)
第12章 アカデミーの拡大発展と活動
第1節 ドイツ刑法学会等の接収と大会報告 819
1 国際刑事学協会ドイツ支部の接収 819
2 ドイツ刑法学会の接収 820
3 ドイツ刑法学会の新設 821
4 ドイツ刑法学会大会 822
(1)刑事法学に関する報告(822)
(2)保安・改善処分に関する報告とその背景(824)
5 オーストリア法学・国家学学会、その他の併合 831
(1)オーストリア法学・国家学学会の併合(831)
(2)その他の学会の併合(832)
(3)1937年第2回比較法国際会議(罪刑法定主義をめぐる国際的論議)(833)
第2節 第5回年次大会(第14回全体会議) 835
1 大会のテーマ 835
2 刑法・民法・経済構造の報告 836
(1)刑法・刑訴法(836)
(2)私法・経済(838)
3 法政策部門の作業会議の報告 839
(1)ギュルトナーとシュトゥッカルトの報告(839)
(2)フランク「ドイツ法学の精神史的状況」(839)
第3節 ドイツ法ハウスの落成と「民族法典」の編纂作業の開始 843
1 ドイツ法ハウスの落成 843
2 民族法典編纂の趣旨 844
3 民法改正への考え方の推移 844
(1)政権獲得以降の民法の改正方針(845)
(2)後期におけるフランクの「民族法典」編纂表明(847)
4 民族法典編纂作業の開始 848
5 戦争勃発時の委員会活動の現状 852
第4節 アカデミーの司法省からの独立化の要請 856
1 無任所大臣に対する予算配分および部下の官位 856
2 フランクとライヒ司法省・内務省との管轄争い 857
第13章 戦時体制とアカデミー
第1節 フランクのポーランド総督への任命 867
1 第2次世界大戦前後のフランクの外国訪問 867
2 フランクの総督受命とカアカデミーの監督権をめぐる争い 868
3 ポーランド総督としてのフランク 870
4 第7回アカデミー年次大会 874
第2節 ヒトラーの司法批判とフランクの失脚 877
1 ヒトラーとの距離 877
2 シュリット事件 877
3 ヒトラーの司法批判演説 879
4 フランクのヒトラー批判講演 882
(1)講演における発言とその結果の概要(882)
(2)ウィーン大学・ミュンヘン大学における講演(883)
(3)フランクの講演の意義(885)
5 フランクの会長罷免 888
6 フランクの日記における認識 889
7 フランク失脚の原因の分析 892
第3節 ティーラックの会長就任 895
1 候補者としてのフライスラー 895
2 ヒトラーの断行によるティーラックの任命 896
3 司法におけるティーラックの支配的地位の強化 899
(1)司法大臣の権限強化(899)
(2)裁判官への書簡(901)
第4節 エムゲの解任とローテンベルガーの招聘 904
1 エムゲの辞職願 904
2 ローテンベルガーの副会長就任 905
3 会長の副会長解任権 906
4 ティーラックとローテンベルガーの関係 906
第5節 ティーラック指揮下のアカデミー 908
1 新体制の始動 908
2 アカデミーの規約・管理規則の変更 908
3 ティーラック時代の委員会活動 910
第6節 最終段階における民族法典編纂作業 912
1 ヘーデマン委員長の指導 912
2 ヘーデマンの現状報告(1940年の第7回年次大会) 913
3 編纂作業の抱える難題(ヘーデマンの手紙より) 915
4 会議における困難克服過程 917
(1)1941年5月26日の会議(917)
(2)1941年10月6日の会議(917)
(3)1942年2月25日の会議(918)
(4)クラクフにおけるヘーデマンの講演(918)
5 ティーラック会長のもとでの民族法典編纂作業 921
第7節 大司法改革案 931
1 ローテンベルガーのメモの提出までの経緯931
2 受領されたメモにおける「裁判官像」933
3 ライヒ司法省の改革計画 935
(1)ライヒ司法省における新たな担当部局の設置(935)
(2)法曹養成に関する特別会議(936)
(3)司法改革の実務的な進捗状況(937)
4 ローテンベルガーの失脚 937
(1)ローテンベルガー失脚を図る策謀(938)
(2)ティーラックとローテンベルガーのその後(939)
5 改革案の骨子 940
(1)司法行政の新形成(940)
(2)裁判所の組織(941)
(3)刑事訴訟(942)
(4)検察庁(942)
6 改革計画の実現の見込み 943
第8節 最終段階のアカデミーの活動とその終焉 944
1 最終段階における委員会活動 944
2 アカデミーの戦時における諸課題 945
(1)アカデミーの一般的諸課題(945)
(2)ドイツの裁判官の地位を明確化するという課題(945)
(3)民族法典の編纂作業(946)
(4)多数の委員会の中止(947)
3 戦時下のアカデミーの活動の停滞 947
4 ティーラックの将来の法曹養成に関する講演 948
5 アカデミーの終焉 949
第14章 総督ハンス・フランクの虚像と実像
第1節 総督の任務遂行と権力闘争 953
1 総督着任と総督管区の行政権 953
2 ポーランド総督管区における管轄争い 955
3 ポーランド人・ユダヤ人に対する政策の実行 961
4 ユダヤ人問題・住民の輸送・経済的搾取等 963
(1)ユダヤ人問題(963)
(2)住民の輸送(964)
(3)経済的搾取(964)
(4)強制労働(964)
(5)教会および文化政策(965)
第2節 フランクの地位の悪化 966
1 フランクの立場の弱体化の原因 966
2 ヒトラーとの関係の悪化とその後 968
3 富と権力希求の源泉―フランクの家庭生活 970
4 戦争末期のポーランド政策の転換とフランク 973
第3節 フランクに対するニュルンベルク裁判 976
1 クラクフからの逃避と拘束 976
2 犯罪事実 977
3 起訴事実と弁護人の主張 979
4 身柄の移送と日記の執筆 980
5 法廷におけるフランクの弁明と責任の自認 982
6 国際軍事法廷におけるフランクの最後の言葉 983
7 国際軍事法廷の判決 986
8 死刑執行とその後 989
9 ナチス法体制におけるフランクの役割と責任 991
第4節 フランクの人物像 994
1 フランクの自己認識 994
2 権力人間のコピー 996
3 クレスマンの分析 996
4 ニュルンベルク裁判における分析 1004
終章 総括
1 権力一元化遅延化機能 1008
(1)立法権一元化遅延化機能(1008)
(2)司法権擁護と警察権拡大への抵抗(1010)
2 ナチス法イデオロギーの「体系化」・「正当化」機能 1012
(1)体系化・正当化機能とその集団的内面化(1012)
(2)イデオロギー的正当化への個人の寄与(カール・シュミットの道義的責任)(1014)
3 立法提案機能 1017
4 アカデミーの国内的・国際的宣伝機能 1018
(1)国民に対する宣伝機能(1018)
(2)外国との交流を通じた国際戦略の手段(1019)
5 フランクの個人的野望充足・研究者の貢献感充足機能 1020
(1)権力闘争の手段としてのアカデミー(1020)
(2)アカデミー会員の貢献感充足機能(1021)
6 大量虐殺の理論的正当化機能 1023
7 混迷の現代に残したもの 1025
附録
1 ドイツ法アカデミーの年譜 1033
2 連邦文書館在庫書類の沿革 1040
3 ドイツ法アカデミー規約 1044
4 文献略号および文献一覧 1053
あとがき 1119